57期 菊地俊弥
大学に入学して実家を離れてから、僕は朝ごはんに食パンとシリアルを食べることが多くなりました。作るのにも食べるのにも、そして片付けるのにも時間がかからないからです。
では、今日も早速朝食の準備に取り掛かりましょう。冷蔵庫に昨日買ったばかりのジャムがあるので、今日は食パンにこれを塗って食べます。
あれ、瓶の蓋が開きません。困ったな。忙しい朝の時間をジャムの瓶と格闘することに奪われてしまっては、一日中テンションが下がってしまいます。
こんな時、皆さんならどうしますか?近所の力持ちのおじさんに開けてもらいますか?それとも、ジャムを諦めて、食パンの小麦粉本来の香りを楽しむことにしますか?
約600種類ある少林寺拳法の技の中にも、「片手蓋開(かたてふたあけ)」や「蓋開地一(ふたあけちいち)」といった技は存在しません。しかし、武道では効率的な体の使い方を学ぶことができます。
少林寺拳法を始めてすぐに習う柔法で、「小手抜(こてぬき)」という技があります。自分の手首を掌側から掴まれた時に、その手を抜いて外す技です。(文章では説明しきれないので、YouTubeなどで検索してみてください。)小手抜にはいくつかコツがあります。手を引っ張って抜こうとしたり、力任せに手首を動かしたりしても中々抜けません。むしろ、手首の位置はあまり動かさず、そこを支点として肘を相手の方に出すようにすると、てこの原理で簡単に抜けます。(加えて、その動作を全身の力でやるようにすると、より良いです。)
さて、目の前には開かずの瓶があります。小手抜の要領で開けてみましょう。すなわち、瓶の蓋を手で捻ることを意識するのではなく、手は蓋をしっかりとホールドすることに専念させ、そこを支点に肘を前に出すようにします。
…開きました!
お陰で、今日も一日ハイテンションなまま過ごすことができます。少林寺拳法をやっていて良かった!
59期 堀内健佑
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
さて、皆さんはどのような大学生活にしたいと考えているでしょうか?
具体的にプランがある方、まだ考えが固まっていない方、様々な方がいると思いますが僕が一つ伝えたいのは大学生の時間はすぐに過ぎていくということです。
僕自身、大学入学後のプランとして漠然と武道をやりたいなと考えてはいたのですが1年生の10月頃まで何もない時間を過ごしていました。それはあっという間の時間でした。
このままでは大学生活が何もないまま終わってしまうような危機感を覚えた僕は少林寺拳法部の体験練習に参加することを決めました。そして、その楽しそうな雰囲気から入部を決めると僕の大学生活は大きく変わりました。
その変化の中で最も自分にとって大きかったのは、やはり先輩や同期と知り合えたことです。
先輩は皆さん優しく、コロナ禍において例年より対面で練習する機会が少ない中でも先輩の優しさや思いやりは随所に感じることができました。また、人との繋がりが希薄になったコロナ禍において共通の話題で盛り上がれる同期の存在はとても自分の支えとなりました。
少林寺拳法部に入ってからの時間もあっという間でしたが何もしなかった時期とは密度が全然違う有意義な時間であり、今ではなぜもっと早く行動しなかったのかと後悔しています。
新入生の皆さんには後悔することのないように一歩踏み出して有意義な大学生活を送って欲しいなと思います。
以上、凄い速さで過ぎていく時間の中で思い切って決断することの重要性について述べてきましたが、ここで有意義な大学生活を送るための選択肢の一つとしてのこの部活動の魅力について述べていこうと思います。
この部活の魅力、それは多様性と柔軟性だと思います。
まず多様性について、この部活には演武が好きな人、実戦形式が好きな人など様々な人がいるため、自分だけでは気づかなかった魅力に気づいたり自分と似た考えを持つ人と出会えたり色々な考え方に触れることができます。そのことがこの部活の魅力の一つだと思います。
次に柔軟性について、この部活では自分のペースに合わせて練習ができます。正規練習は週3日ですがそれ以外にも練習したい人には自主練の時間も用意されており数々のニーズに応えてくれる点もこの部活の魅力であると思います。
様々な部活を吟味していただければと思いますが、このような魅力を持つ少林寺拳法部は確実に皆さんに有意義な大学生活を提供してくれるでしょう。
この部活に入ることを決断した皆さんと出会える日を楽しみに。
58期 鶴岡靖朗
私はこの春、3年生になり、理学部地球惑星環境学科に進学します。小さい頃から、理科が好きで、宇宙や太陽系について関心があった私にはぴったりの学科だと思います。2年のAセメスターにこの学科の講義を受講して、さらにそう思うようになりました。しかし、東大に入学した当初は、この学科に進学するつもりもなかったし、この学科の存在すら知りませんでした。
宇宙に強く関心を持つようになったのは、小惑星探査機はやぶさが帰還した頃だったと記憶しています。比較的最近、はやぶさ2が帰還し、話題になったと思いますが、その前の初代はやぶさのことです(ちなみに、はやぶさ2が持ち帰った試料を分析する予定だと学科の先生がおっしゃっていました)。そうした記憶からでしょうか、自分は工学系に進んで探査機開発などに携わるつもりでいました。電子工作やロボットなども好きだったので、工学系に進むことに疑問を持っていませんでした。東大に入ったのも、わかりやすく名前に「宇宙」と入っている工学部航空宇宙工学科の存在を知ったからです。
その進路に疑問を持ったのは、進学選択まで半年しかない1年生の終わりの頃でした。それまでは、航空宇宙工学科の要望科目を受講していたし、点数も稼いできており、それ以外の選択肢を考えていませんでした。そんな折にあったのが、OB・OG合同練習会でした。最近は新型コロナウイルス感染症の影響で開催できていませんが、OB・OGの先輩方を招いて、練習を行う機会があります。練習後には懇親会があり、先輩方からお話を聞くことができます。OB・OGの先輩方は各界の最前線にいるような方々で、その分野について詳しいお話を聞くことができます。そこで、工学部卒の先輩とお話しした際に、進路の話になりました。工学の中でもどのようなアプローチで開発に携わるか深く考えていなかった私に、先輩は「推進系と制御系のどちらをやりたいか」と質問されました。そのときは、推進系にはあまり興味がないと思ったので、「制御系」と答えました。しかし、そのあとよく考えてみると、制御系にもあまり興味が湧かないことに気付きました。航空宇宙工学科のパンフレットなどを調べてみると、コースが同じように分けられており、本当に自分のやりたいことがこの学科でできるのか疑問に思い、他の学科を調べるようになりました。そうして出会ったのが、今の進学先です。
懇親会での会話は、和気藹々とした雰囲気で、気軽なものでしたが、私にとっては、本当にやりたいことを探す、大きなきっかけになりました。感染症の影響で、直接お会いできる機会がなくなってしまいましたが、オンラインなどで交流する機会はあります。最近では、就活支援として、先輩方のお話が聞ける場も設けられています。長い歴史があり、大勢のOB・OGの先輩方がいらっしゃることで、こうした試みが実現できています。この部活の強みの一つと言えるでしょう。また、OB・OGの先輩方に限らず、現役の先輩からも色々と話を聞くことができます。文科一類から理科三類まで、さまざまな科類の先輩がいますし、理転した先輩もいます。さまざまな人々と触れ合えるこの少林寺拳法部で、一緒に活動しませんか。
58期 伊藤直毅
2020年春、コロナ禍により活動が制限され、オンラインでの部活動が増える。当然やる気は出ない。練習の手を抜きに抜きまくった。頑張っている素振りだけ見せることにした。ひとまずの緊急事態宣言があけ、練習が再開する。久しぶりに部活動を真面目にやってみる。なぜか見違えるほど上達していた。理解不能である。
2020年夏、医学部医学科に進学、膨大な学習量に圧倒され、部活動へのコミットが減る。また手抜きを始める。全日本学生大会期間にだ。結果どうなる? なぜか昨年度くそまじめにやっていた時期より明らかに上達が早い。理解不能である。
少林寺拳法に限らず、武術、またはスポーツ全体を通して脱力の重要性が説かれている。逆説的だが、筋力などに頼らず大きな力を発揮するためには全身を脱力したほうがいいのである。今述べている脱力は肉体的なものであるが、精神的な脱力も同様に重要だと昨年気づいた。1年生のころはとりあえず頑張ってみた。それも悪くないだろう。だが、安っぽい言い方をすれば無理は禁物とでもいうのだろうか、少し違う気もするが、ゆとりある心、ゆとりある視野が成長には不可欠なようだ。
入学当初、私は自分がいわゆる難関を乗り越えて自分は頑張れる奴だ、たゆまぬ努力ができるやつだと思い込んでいたが、頑張るってそもそもなんだ? さぼっちゃいけないのか? 考え直したい。
58期 落合航平
筆者は所謂ジェネラリストである。少林寺拳法は原稿執筆時点で二段、予定通りにいけば4月に三段に上がるであろうことはもとより、地文研究会地質部と生物学研究会という2サークルに所属しており、前者では部長を務め、頻繁にフィールドに繰り出してはハンマーで石を叩き、重い土嚢袋を持ち帰る。他には決して英語が得意ではない身ながら、グローバルリーダー育成プログラム (GLP-GEfIL) にも参加させて頂き、かじり始めで全く詳しくないながらもギリシア神話や西洋美術にも少し興味を覚えている。
そんな筆者にはかねてより思うことがある。
「自分には極めているものがない」
少林寺拳法は一応経験者であるから知識こそあるものの、そう簡単に体がついていくというものではない。人によって演武が好き、乱捕が好きなど様々だが、少林寺拳法にしっかり力を入れている部員はやはり上達が速い。
生物や地質も何か専門があるのかと問われればそんなこともない。生物に関して分かるのは鳥類が確実に専門外であるということくらい。鳥も好きではあるが何故か詳しくなれない。他には魚は昔からずっと好きであるし、昆虫の採集もする。広く浅く中途半端に知っており、何かに詳しい訳ではない。地質も普段は先輩に連れていって貰って白亜紀や古生代の化石を採集することが多いが、鉱物も好きである。今年度例外的に底点が上がったため進学選択で苦労したが何とか入れた学科は生物学科で、元々入りたかった学科でもあるが、最近は地質しかやっていないような気がする。
狭い自室の小さな本棚を見ても、生物学科の教科書があり、図鑑があり、関東の地質図、イリアスやオデュッセイア、果ては近所の図書館で除籍図書となった日本繪卷物全集まで。しかも読むのは追いついていない。壁には道衣が掛けてあり、机に鎮座するのはサンゴ化石入り石灰岩の巨塊。部屋に隅にタイワンキンギョが泳ぐ瓶があるかと思えば、一応生物屋の癖にカメラも持っていない。おい落合、お前は一体何屋なんだ…
筆者は研究者を志している。研究者といえばスペシャリストもスペシャリスト、自分の専門分野に関して先端を行く人間である。しかし現状ジェネラリストたる筆者は、自分が何を専門にやるのやら検討がつかない。今後色々やって決めていくのだが。果たして私はジェネラリストのままで良いのか。やたらと色々手を出して無闇に忙しい生活を送るより、何かに集中した方が良いのではないか。
ここまで長々と書いてきた「ぼやき」であるが、また同時に思う。仕方がない。どうもこれが私のやり方のようだ。色々やっていることで得られるものもあろう。現に小さなことではあるが、ハンマーで石を割る時、少林寺拳法で培った打撃のインパクトの技術が役に立ち、軽めのハンマーでも硬い石をある程度楽に割ることができる。化石産地に向かう途中であるカエルの生息地を見つけた時も、すぐにそれと認識することができた。視野を広げられるのは良いし、何より学生生活が充実する。
少なくとももう暫くは、自分の興味の赴くままにやっていきたいと思う。
58期 五ノ井杏
私は少林寺拳法部が好きです。
去年の部員の声でも書いたのですが、この部の人たちを見るとみんな”バラバラ”なことがよくわかります。所属もバラバラ、趣味もバラバラ、目指したい姿も人によりバラバラ。
この多種多様性を、悪いことではなく、個性として捉えられる寛容さがこの部活の凄さだと思います。そして私がこの部を好きになる理由の一つ。
部に入っていなければ、出会うことも、まして深く関わることもなかったような人たちが一緒になって修練する、<br />私たちが部を卒業したら、その先で選ぶ道も、きっと交わることはないんだと思います。
それでも今は同じ部活で、顔を合わせて合掌する。
59年の伝統を持つこの部活ですが、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)がテーマとして目指される今の社会において、ある意味、それをうまく実現に持っていっているように感じます。
バラバラだからこそ、居場所を見つけて頑張れる場所、
そんな社会が作れるように
その第一歩として、今後の部活にも向き合っていきます。